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小田龍一から子供達に「夢を持とう!」

給食の後は小田が自身の生い立ちや夢を語る「夢をもとう!」の時間。

鹿児島の種子島で生まれた小田は高校の教師をしている父親の影響で幼少期に何度か引っ越しを経験している。

小学校低学年の時、種子島から引っ越した先で小田はサッカーを始める。
教師の父は文武両道に厳しく毎朝4時に起こされると新聞を読まされ、そしてそれをノートに書き写すことを日課にされていた。朝起きるのが遅くて出来なかった時は、夜中にたたき起こされ泣きながら書かされたなど、幼少期の思い出話すと、子供達は真剣な表情で聞き入る。

小学4年生の時にはまた引っ越しを経験。引っ越した先にはサッカー部はなく高校生が練習しているところにまざりサッカーをするも、やはりついていけずに心機一転、今度は野球をはじめた。

キャプテンでありポジションはキャッチャーとピッチャーの両方をこなしていた小田だったが、転機は小学6年生の時。野球のシーズンオフ中、親戚のおじさんにゴルフクラブをもらったことがきっかけで父親と一緒に練習場にいった小田。

たまたまその練習場のオーナーと父が知り合いだったこともありゴルフをすることを勧められ、その日から父親に「行くんだったら走っていけ」といわれ4kmはゆうにある家と練習場の往復を毎日走って通い続けた。小田はこの日のことを印象深く覚えており「12月28日」とホワイトボードに日付を書きこみ、この日のことを子供達に話していた。

「やるからにはプロになりたい!」と、中学1年で県大会3位、中2で2位、中3で優勝し高校に入ってからも好成績を残し続け、高校3年のときには日本ジュニアで6位と順調に頭角を現し始めていた小田は、専修大学の推薦も受けることができた。

大学一年の時に「ゴルフに専念したい」と大学を中退し地元の鹿児島にもどり研修生になったが今までの順調さがうそのように、21歳の時「ゴルフをあきらめよう」と思うほどの挫折を味わう。半年間、クラブも握らなかった小田だったがやはりテレビのゴルフ中継や番組は気になりみてしまう。そんな時、今まで一緒にやってきた同級生が出ている姿をみると「悔しい」という感情が溢れてきた。

22歳でもう一度一からやり直そうとゴルフを始め23歳でアジアンツアーの予選会に挑戦。アジアの試合を4試合ほどだったが経験したことでゴルファーとして、そしてそれ以上に人としての視野が広くなった。
24歳で4回目のプロテストにチャレンジし合格し27歳で初シードを獲得した。 
そしてプロ9年目の昨年、悲願のプロ初優勝を日本オープンで成し遂げた。

「自分の夢は世界にいって戦いたい!そして海外の試合で優勝すること」と、自身の夢を話した小田は最後に「まず、自分が将来何になりたいのか?何をしたいのか?そしてそうなるにはどうしたらなれるのかを考えてください。そして、ただそれを考えるだけではなく、そうなっている自分を想像しながら頑張ってください」と子供達にエールを贈り、講演を締めくくった。

講演の後は子供達が自分達の夢を発表。「今日、ゴルフを始めてやってみて将来プロゴルファーになりたいと思いました。いっぱい練習します!」と発表した原 勇太ろう君10歳と小田は固く握手を交わした。次々に子供達は積極的に自身の夢や目標について発表していた後、プロへの質問コーナーでは「はじめて告白したのはどこですか?」などの質問が小田にとぶ。

小田は恥ずかしそうに「今の奥さんに海辺で・・・」と答えると子供達から「ロマンチック〜!」と冷やかされる場面もあった。

講演後、子供達に話を聞くと「小田プロの話をきいて自分も夢をあきらめないでがんばろうと思った」、「やっぱりプロになるまでにすごい努力をしたんだなぁっておもった」、「ゴルフを好きになった」など色々な感想がよせられた。
クラスの担任の先生からは「こういったことを通じて子供達が色々なことを体験できる機会ができて本当に良かった。今後は寄贈して頂いたスナッグゴルフをクラスの枠を超えてやっていけるようにしたい」とのお話も聞けた。

この長野県飯田市でもまたひとつ「スナッグゴルフ」をサッカーや野球と同じように楽しんで経験してもらえる小学校がふえました。上郷小学校のみんなも是非スナッグゴルフ全国大会目指して頑張ってください!

  • 自身の子供時代から今までを年表にし子供達に説明する小田龍一
  • プロゴルファーになりたい!と自分の夢を発表した 原 勇太ろう君 10歳 と握手を交わした小田

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