中学時代は体操部。友人一家と練習場に行ったことからゴルフを始め、高校はゴルフ部のある泉高校を選んだ。プロ入り後は国内で活躍できずにアジアンツアーに活路を求め、2000年の『台湾PGA』で優勝している。
2位と3位を3度ずつ経験した末に05年の『フジサンケイクラシック』で初優勝した。翌年には米国ツアーに参戦し、『ジ・インターナショナル』の3位などでシード権を獲得。翌年はシード落ちして08年からは再び日本を主戦場にした。
15年にパッティングの不振からシードを手放した。再起をかけた16年は『フジサンケイクラシック』の2位はあったが賞金シード奪回ならず。それでもチャレンジで賞金ランク2位に入って前半戦の出場権は得た。
17年は少しずつ賞金を積み重ね、優勝経験のある『ブリヂストンオープン』ではツアーで3年ぶりとなる首位にも立った。賞金ランク76位ながらシードに復帰。反撃態勢を整えた。