10歳でゴルフを始め、高校1年時の2007年には石川遼らと共にチームジャパン・ジュニアにも選ばれていた。大阪学院大学在学中にドライバーのイップスとなり、ゴルフを辞めることも考えていたが湯原信光に弟子入りして復活。大学4年時の13年に『関西アマ』と『日本アマ』を制した。同年はツアー初挑戦の『関西オープン』で2日目を終えて単独首位に。最終的には9位に終わったが、大きな注目を集めた。
その後、肋骨を骨折してQTをキャンセルするがプロ宣言。プロ初戦の14年『東建ホームメイトカップ』では2日目まで首位タイにつけていた。15年はチャレンジで1勝を挙げて賞金ランク7位に。その資格で前半戦の出場権をつかんだ16年に初シードを獲得。17年は『RIZAP KBCオーガスタ』など2試合で最終日最終組を経験した。18年もシードを維持。予選落ちをここ3年で最も少ない5試合に抑え、安定感が増した。(2019)