熊本市出身。野球をしていたが家族がゴルフをしていた影響でクラブを握り、高校は鹿児島県の樟南に進学。2008年の『国体少年男子個人』では松山英樹らを抑えて優勝している。
石川遼の活躍に刺激を受け、高校を卒業するとプロの世界に飛び込んだ。ツアー初戦、11年の『日本オープン』では初日2位発進して話題に。15年はチャレンジで賞金ランク2位となっている。シードをつかんだのが17年。予選会から出場の『日本オープン』で4位に入るなどして賞金ランク43位に食い込んだ。
翌18年にブレークする。ツアー史上初めて8000ヤードを超えた『ミズノオープン』で6位から逆転して初優勝。さらには『ダンロップ・スリクソン福島オープン』では5位から逆転勝利。年間2勝は市原弘大と並ぶ最多勝となった。19年も優勝のチャンスはあったがモノにできず。『東海クラシック』では最終ホールの2打目を池に入れて1打及ばなかった。