子供のころは祖父が経営する牧場につくられた練習場で腕を磨いた。中学1年で熊本空港CCのクラブ選手権に優勝。高校は茨城県の水城に進み、2年時の『日本アマ』では決勝で金庚泰に敗れたがその名を全国に響かせた。東北福祉大学2年時の2008年にQTに挑み、13位に入ってプロ転向。飛距離が魅力の大型新人として期待が高かったが3年間は苦戦続きだった。
12年に初シードを獲得。14年の『ダンロップ・スリクソン福島オープン』では首位タイで最終日を迎えたが惜しくも2位。15年は予選落ちが自身最少の3試合と安定感が増し、賞金ランクは22位に浮上。16年は平均ストロークが初めて71を切り、賞金ランクを18位にまで上げた。17年の『マイナビABCチャンピオンシップ』では1打差2位。初優勝間近と思われていたが18年は夏場以降低迷が続いてシード落ち。それでもQT9位で臨んだ19年はトップ10に3回入り、シード復帰を果たした。