父親の勧めでゴルフを始め、アマチュア時代は『韓国ジュニア』などのタイトルを獲得した。2006年にプロ転向すると、07年末に日本のQTに挑戦。この時は上位に入れず、08年はチャレンジの出場のみだった。その後も日本のQTに挑み、10年に初シード獲得。翌年は陥落するが12年にはチャレンジ賞金ランク2位で再びツアーの舞台へ。ただ、13年も結果を残せなかった。
QT12位から仕切り直しとなった14年は最終日最終組を2度経験した後、『トーシンゴルフトーナメント』で28アンダーのツアー新記録で初優勝をつかみ取った。同年はドライビングディスタンスで1位に輝いている。 15、16年は兵役に就いた。その間も韓国内で軍隊公認の試合には出場。1勝を挙げている。
日本ツアーに復帰した17年は『ダンロップ・スリクソン福島オープン』で惜しくも1打差2位。2勝目は成らなかったがシードに復帰した。ただ、18年はシード陥落。19年はAbemaTVツアーの『HEIWA・PGM Challenge Ⅱ』でプレーオフに臨んだが敗退した。