小学生時代は野球少年。中学では野球部がなく、経験のあったゴルフに本格的に取り組んだ。高校はゴルフの強豪・東京学館浦安へ。3年時の1992年に『ジャンボ尾崎杯フジサンケイジュニア』で優勝し、翌93年の『フジサンケイクラシック』で初めてプロの試合に出場した。
専修大学を経て98年にプロテスト合格。若いころはシードには届かないまでもツアーでプレーはできていた。しかし、肋骨の骨折や椎間板ヘルニアなどの故障もあり、ツアーで戦う機会が減少。所属先でのレッスンを中心にした生活を送っていた。
QT30位で迎えた16年、『ダンロップ・スリクソン福島オープン』で時松隆光と優勝争いを繰り広げて自己最高の2位に。41歳にして初シードをつかんだ。
ただ、シードは1年で手放す。19年はツアーでフェアウェイキープ率2位を記録するもシード奪回には至らず。AbemaTVツアーの『HEIWA・PGM Challenge Ⅱ』では最終日63の猛追でプレーオフに進むが、5ホールの激闘の末、初優勝を逃した。