米国のロサンゼルス生まれ。2003年の『全米アマ』ではビル・ハースらを破ってベスト4に進出した。プロ転向後は米国ツアー出場権をつかめず、ワンアジアツアーなどでプレー。やがて同じ韓国系米国人であるハン・リーの紹介でQTを受け、12年から日本ツアーに参戦している。
1年目はシード獲得には至らなかったが、再びQTから出場権をつかんだ13年は『つるやオープン』で松山英樹と優勝を争って2位。序盤で初シードを濃厚にした。翌14年、バッバ・ワトソンも参戦していた『三井住友VISA太平洋マスターズ』でハン・リーらとの争いを制して初優勝をつかみ取った。
16年は賞金ランク89位で迎えた『カシオワールドオープン』で4位となりシードを死守。18年までシードを維持し、19年の『東建ホームメイトカップ』では初日から3日目まで首位と存在感を示していた。だが、その後右ひざを故障してツアーを離脱。特別保障制度が適用された。