千葉学芸高校3年時に『世界ジュニア』などで優勝。東北福祉大学でも数々のタイトルを獲得して2007年にプロ転向した。翌08年にデビューするとすぐにシードを獲得。09、10年には4勝で年間最多勝を記録した。09年に『日本プロ』、14年には『日本オープン』で優勝。両大会を20代で制するのは74年尾崎将司以来6人目の快挙だった。
13年からは3年間選手会長を務める。16年は3勝を挙げ、史上4人目の年間獲得賞金2億円を達成して初の賞金王に輝いた。同年はリオデジャネイロ五輪にも出場している。
17年には当時史上最年少の31歳で生涯獲得賞金10億円を突破。18年の『アジアパシフィックダイヤモンドカップ』では史上11人目の通算20勝に到達した。
19年の『ミズノオープン』ではC・キムとの競り合いを制して21勝目。09年からの連続年優勝を「11」に伸ばして青木功、片山晋呉に並ぶ歴代2位にまで浮上した。