三井住友VISA太平洋マスターズ 2019

大会ロゴ

大会記事

松山の歩んだ道を踏襲! 金谷さんがアマ快挙

  • photo1

8年前にここ御殿場で、史上3人目を達成した偉大な先輩でも、こんな凄いガッツポーズは出なかった。
「無意識に出た」と、11年大会の松山英樹に次ぐ新たな快挙は、7メートルを沈める劇的イーグル締め。

21歳の金谷拓実さん(東北福祉大3年)が1973年のツアー制度施行後、史上4人目となるアマVをなしとげた。
1差の単独首位から出て、一時は2差の2位に後退しながら「65」で通算13アンダー。南アのノリスと壮絶なデッドヒートを1差で制した。

窮地でこそ世界アマランク1位の実力を発揮した。
7番、9番といずれも3パットのボギーで逆転を許した。11番のボギーで2差にされたが「とにかく自分のベストを尽くそうと思っていた」と、12番で”バウンスバック”。

ワンオン可能な15番で、右林に入れる大ピンチをチャンスに変えたノリスに感心しながら自身も16番で、10メートルを沈める連続バーディを奪って応戦。

17番では相手のボギーで再び首位に並び、最終18番パー5を迎えた。3Wの第1打でフェアウェイを捕らえたが、5Iを振った残り220ヤードの2打目はミスショットした。
低い出球に「池を越えてくれ、と思ったらちょうどいい感じに。ラッキーでした」と、ピン位置と同じ段に2オン。
「最後は入れるつもりで打ちました」。
快挙はまた富士のふもとだった。偉大な先輩と同じ最終ホールの劇的イーグルで、頂上に立った。

80年の倉本昌弘(中四国オープン)、07年の石川遼(マンシングウェアオープンKSBカップ)、そして11年同大会の松山英樹に次ぐ史上4人目のアマ快挙。
その瞬間を、金谷さんがテレビで見たのは小学生の時だったという。
「松山選手は18番で右のファーストカットから50センチくらいのところ。池の方のラインから打って行って…。めっちゃ覚えています。あの頃は、思ってもみない。信じられない」。

両親の指導で、5歳からゴルフを始めた。地元広島で、すぐに頭角を現し、17歳の15年に最年少で日本アマ制覇。同年の日本オープンで最年少ローアマ。広島国際学院高3年時に、ツアー出場権をかけたQTに挑戦したが失敗。
いったんプロ入りを見送り、松山ら錚々たるメンツを配する東北福祉大に進んだ。

学生生活で、切磋琢磨しながら昨年のアジアアマで優勝し、今年4月のマスターズに出場。予選通過を果たして4日間を戦い抜くなど松山が、在学中に歩んだ道を、みごとに踏襲。歓喜した。
「松山さんにはプロの試合で勝てと言われていた。よい報告ができて嬉しい」。

2年時にプロの試合を制した松山は、最終学年でプロ入り。学生生活を送りながら、プロの試合を転戦した。

金谷さんも、表彰式でJGTO会長の青木功に「絵になる選手が勝ってくれると刺激になっていい。学校に行かず、早くプロになって」とラブコールを受けたが「まだ学生も1年あるし、プロ入りは、いろんな人と相談して決めたい」と、慎重に答えるにとどめた。
「飛距離より手前から転がしていく。自分のスタイルに合っている」という理由から、将来は欧州ツアーからの米進出で「世界一」という壮大な構想も、ひそかにあるようだが「今はまだ、何も考えられない。ゆっくり時間をかけて、目標を立ててやっていく」と、快挙の余韻を抱いたまま金谷さんは、学生選手権の試合会場へと向かった。

» 前のページに戻る

関連記事

広告