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宮本勝昌「待ってろ、遼くん!」

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  • グリーンサイドで見守っていた藤田(左)は、ホールアウトするなり飛んできた宮本の体をしっかり受け止め、自分のことのように喜んだ
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最後は80センチのパーパット。ラインはほぼストレート。それほど難しくはない。「でも本人には、本当に大変なパットだったと思う」と、グリーンサイドでその心境を思いやったのは、兄弟子の藤田寛之。

師匠の芹澤信雄を軸に一番のライバルであり、無二の親友。その宮本が強烈なプレッシャーを跳ねのけて、4年ぶりの頂点をつかんだその瞬間。
チャンピオンのかわりに泣いたのも藤田だった。自分の優勝シーンでさえ涙を見せたことがない男が、目を真っ赤に腫らしてしみじみと振り返る。

「長いこと、ずーっと勝てなかったから。今年の春先は、予選会に行くことも考えていたようだったから。陰で相当悩んでいたんだと思う」。

96年にデビューするなり初シード入りを果たし、芹澤には「賞金王にもなれる器」と太鼓判を押された。98年に初優勝を含む年間2勝をあげてから順調に重ねてきた勝ち星はしかし、2003年から止まったまま。
練習に練習を重ねても、手が届かない。
「これだけ力が拮抗したツアーでは、運がなくては勝てないんだ」と心では言い聞かせながら、「何をやっても上手くいかない」と、妻・朋美さんについ愚痴をこぼしたこともあった。

サービス精神旺盛で、人前では常に明るく振舞う宮本が、実はひそかに苦しみを抱えていた。そんな仲間の苦労を間近で見てきた藤田だからこそ、泣かずにはいられない。
喜びいさんで胸に飛び込んできた弟分をしっかりと抱きとめた。

ツアー通算6勝目への募る思い。
それだけに、2日目にして早くも4打差の大量リードで迎えた絶好のチャンスは宮本にとってかえって重圧となった。
決勝の夜は、2日間とも何度も夜中に目が覚めた。
勝ちたくてたまらないのに、いざ「勝っちゃったらどうしよう」などと、矛盾した思いで眠れなくなった。

激しいプレッシャーのために、ショットも乱れた。
3日目は左。最終日は右へ。
普段なら、小気味良いスライスを描いて飛んでいく豪快なティショットが、この日に限ってそのまま林へ突き抜けたり・・・。

そんなピンチの連続を救ってくれたのは、パッティングだった。
2週前に3年ぶりに持ち変えた、ピンタイプのパターがツアーで唯一の高麗グリーンにピタリとハマった。
「タッチと読みが合い、イメージも非常によく出せた」。
練習日のうちに距離感の調整も完璧に、初日を迎えられたことが大きかった。長いパーセーブをしぶとくねじこんだ。

3日間連続で首位に立ち、痛切に思った。
「ここまで来たら絶対に勝ちたい」。
前夜、1歳の長男・翔太郎くんと自宅で待つ妻・朋美さんに電話で約束した。
「僕からは、優勝を誕生日プレゼントにするよ」。
最終日の2日後、8月28日が偶然にも夫婦2人の35回目の誕生日。
朋美さんの弾んだ声が聞こえた。
「そうなったら本当に嬉しい。期待して待ってるよ」。
これで勝たなければ男じゃない。

ウィニングパットは、どうやって打ったのか覚えていない。
ボールがカップに沈む寸前まで震えていた手。腰のあたりで拳を握り、何度も小さく振り下ろす。
猛烈な暑さとの戦いでもあったこの4日間。
「勝つことの難しさを改めて痛感した。これまでで、いちばん苦しい優勝だった」。
それでも、一度は豪州のスティーブン・コンランに並ばれながら振り切った。
最後まで一度も首位を譲らず逃げ切って、改めて堂々と言える。

「待ってろ、遼君!!」。

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