日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ 2001

大会記事

「あの経験があったから・・・」

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「これまでのどの試合より、勝ったという実感がある」と宮本勝昌


 大観衆に背中を向けて、宮本は、思わず目頭を押さえた。
 18番、池超えのパー4。ピン奥にパーオンさせて、グリーンに上がった途端、藤田寛之の姿が目に飛び込んできた。
 もう、2時間以上も前にホールアウトして、とっくに帰路についているはずの練習仲間が、自分を待っていてくれた。
 その瞬間、宮本には、熱いものがこみ上げていた。
 「いけない、笑わなくちゃ」いったん、グリーン手前の池の淵で、涙を拭いて、懸命に、いつもの人懐こい笑顔で観客に応えるが、充血した瞳までは、隠せなかった。



 2年半ぶりのツアー3勝目。
 ここにたどり着くまでの道のりは、けして平坦ではなかった。
 98年、日本シリーズでジャンボを劇的逆転Vで下し、日本での5年シードをよりどころに飛び出した2000年米ツアー。
 だが、世界舞台で自分を見失い、スランプに陥った。
 「どうクラブを振ればいいかさえ、わからなくなった時期もあった」
 いつもは人の良い宮本が、自分をコントロールできないもどかしさで、周囲に当たり散らしたことさえあったという。
 結局、その年稼いだ賞金総額は15万ドル余り。ランキング170位に終わり、125位までに与えられるシード権には遠く及ばなかった。
 翌年の出場権を争うQスクールにも挑戦したが、2次で敗退。
 宮本の米ツアーの道は閉ざされ、失意のまま帰国している。
 日本に帰っても、アメリカでの後遺症か、なかなか結果は残せなかった。



 ようやく復調傾向を見せた昨年10月、ブリヂストンオープン3日目に首位に立ったが、最終日に不運が起きた。
 15番ホールで、いつのまにかバッグに紛れ込んでいた伊沢利光のボールでプレーして、2ペナを受け敗退。佐藤信人に、勝利を譲った。
 その後も、すっかりツキをなくしたように、次々とチャンスをフイにした。


 今年のタマノイ酢よみうりオープンで逆転負けしたときは、とうとう尾崎直道に『おまえ、一度、寺とか行ったほうがいいんじゃないか』と、真剣にアドバイスされたほどだった。


 それでも、持ち前の明るさと前向きな性格で努力を続け、今年のツアープレーヤーNO.1に。
 「いろんなことがあったけど、今は、あのときの苦い経験があったから、今回の優勝があったんだ、と思えます」と宮本。



 「こんなレベルの高い大会で、しかも最終日のあの風の中、7打差をつけて勝った・・・。今までのどの試合より、“勝ったんだ”という実感が大きい優勝でした」


 再び、5年シードを手に入れたが、それはもちろん、宮本にとっての到達点ではない。
 「今年は、この1勝で終わらない。もっともっと頑張って、また、アメリカにも挑戦したい」
 最後には、宮本の涙はすっかり乾き、その瞳は新たな希望で輝いていた。

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