ショットの歯切れも抜群なら、鼻っ柱の強さも右に出る者はいない“九州の若鷹”。その鈴木が、急性肝炎で倒れたのは58年の5月。1ヶ月近い入院生活を経て、6月末から戦線に復帰したが、このアクシデントは、8年続けたシード権を失わせる原因になった。59年「今年こそ」という鈴木は、2試合目のくずは国際で66・67のスコアで幸先よい優勝を飾ったものの、その後は「体をかばうスイングになってしまって」それがパットにも影響し、まるで噛み合わないゴルフの連続。ペプシ宇部、九州オープン、全日空と3度ベスト10入りしただけで、秋は11試合で半分以上の6試合が予選落ち。最終戦まで持ち込んで、なんとかギリギリの39位に飛び込みことが出来た。51年の全英オープン ロイヤルバーグデールに、予選から挑戦し見事通過するや、本戦では初日トップに立ち、あのバレステロスと激しく競り合って10位に入り「日本のスズキとはオートバイだけじゃない」と地元のファンを唸らせたほど。さらに“日本人は当分勝てない”といわれた太平洋クラブマスターズに54、55年と連勝するなど、このころは常にトップ10にランクされていたものだ。56年にはマスターズにも出場している。<1985>
選手名 | 鈴木 規夫 (スズキ ノリオ) |
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所属先 | オハヨー乳業 |
生年月日 | 1951年10月12日 |
出身地 | 香川県 |
身長 | 171cm |
体重 | 73kg |
血液型 | O型 |
出身校 | -- |
趣味 | 切手収集 |
ゴルフ歴 | 12歳~ |
スポーツ歴 | |
得意クラブ | |
愛車 | クラウン |
アマチュア時代の戦歴 | |
ツアープレーヤー転向 | 1972年--月--日 |
ツアーデビュー戦 | ----年--月--日 |
QT受験回数 | - |
師弟関係 | 増田 光彦 |
ホームページ | - |