中学3年で広島GCのクラブチャンピオンとなり、日本大学時代は空前絶後の『日本学生』4連覇など多くのタイトルを手にした。アマチュア時代の1980年、『中四国オープン』で優勝を飾り、翌年プロテストに合格。初戦となった7月の『和歌山オープン』(賞金ランク対象外)でいきなり優勝すると、ツアー競技でもアッという間に4勝を挙げて賞金ランク2位に入った。
プロ2年目の82年には『全英オープン』で日本選手歴代最高の4位に入り、翌週の『日本プロ』では初出場初優勝の快挙を達成。レギュラーツアーでは賞金王こそ獲得できなかったが常に上位で活躍した。
92年の『ブリヂストンオープン』でツアー25勝目(プロ入り後)に到達して永久シード入り。同年、米国ツアーのQスクールをトップで通過して93年は米国中心でプレー。結果は残せずに1年で撤退したが、運営方法など多くのことを学び、ツアー改革に尽力。その後のJGTO設立にもつながっている。00年には心臓弁膜症の手術を受けて選手生命が危ぶまれたが翌年復帰。03年の『アコムインターナショナル』初日にはツアー初の59をマークして通算30勝目を挙げた。
シニア入り後も存在感を示している。12年は欧州シニアツアーで海外初優勝。14年には日本プロゴルフ協会会長に就任し、選手としては2勝を挙げて4年ぶり2度目の賞金王に輝いた。19年は『スターツシニア』で谷口徹をプレーオフで下し、シニア通算8勝目をマーク。64歳にして賞金ランク3位に入った。
選手名 | 倉本 昌弘 (クラモト マサヒロ) |
---|---|
所属先 | フリー |
生年月日 | 1955年09月09日 |
出身地 | 広島県 |
身長 | 164cm |
体重 | 66kg |
血液型 | AB型 |
出身校 | 日本大学 |
趣味 | スキー 読書 |
ゴルフ歴 | 10歳~ |
スポーツ歴 | スキー |
得意クラブ | SW |
愛車 | |
アマチュア時代の戦歴 | '75 '77 '80 日本アマ、'74 '75 '76 '77 日本学生、'76 '78 関東アマ、'74 関東学生、'74 '75 朝日杯全日本学生、'80 中四国オープン 各優勝 |
ツアープレーヤー転向 | 1981年--月--日 |
ツアーデビュー戦 | 1981年--月--日 和歌山オープン |
QT受験回数 | - |
師弟関係 | |
ホームページ | - |