87年は日本のPGAが本格的に外国人プレーヤーに門戸を開いた年である。来日してから8年目のD・イシイはようやく日本語も少しは話せるようになっていた。この年は序盤戦の8試合で5試合のトップ10入り。その後『札幌とうきゅう』で2日目にトップに立つと、そのまま逃げ切ってツアー4勝目。2週間後の『ミズノ』、7月末の『日本プロ』も同様に逃げ切り、秋の『ブリヂストン』は芹澤信雄、牧野裕とのプレーオフを制し、『カシオ』は最終日に逆転。『日本シリーズ』は初日4位から、2日目でトップの青木功と並んだ。後半は東京地方の積雪で中止となったため、青木と優勝を分けてシーズン6勝目。尾崎将司に1千万円の差をつけ、史上初の外国人賞金王に輝いた。ハワイのカウアイ島出身の日系3世。ゴルフの腕前は高校時代からハワイでも折り紙つきで、大学は名門ヒューストン大に進学。オールアメリカンにも進出され、当然米ツアーを指向した。しかし、Qスクールに3度挑戦したが合格できず、目を日本に向けた。日本ツアーではもう14勝挙げているし、90年には地元での米ツアー『ハワイオープン』に優勝。『マスターズ』の出場権も得た。しかし、日本では94年ツアーで2勝してから5シーズン勝ち星がない。強かったころはスロープレーが問題になり、罰金を課されたこともあったが「罰打がついても自分のリズムは変えられない」と言っていた。そのイシイのリズムがやや早くなって、勝ち星が遠のいたのだろうか。<2000>
選手名 | D・イシイ (イシイ デービッド) |
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所属先 | パールCC |
生年月日 | 1955年07月26日 |
出身地 | -- |
身長 | 178cm |
体重 | 80kg |
血液型 | B型 |
出身校 | ヒューストン大学 |
趣味 | 歴史物の映画鑑賞 |
ゴルフ歴 | 5歳~ |
スポーツ歴 | |
得意クラブ | サンドウェッジ、ドライバー |
愛車 | |
アマチュア時代の戦歴 | |
ツアープレーヤー転向 | 1979年--月--日 |
ツアーデビュー戦 | 1980年--月--日 群馬県オープン(日本での初競技) |
QT受験回数 | 3回 |
師弟関係 | トヨ・シライ、アラン・ヤマモト |
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