日本を代表するショットメーカー。とくにアイアンショットの切れ味は、右に出るものはないと言われる。グリーンへのパーオン率は、20年守り続けたシード権を失った2000年と翌2001年の2年連続で1位となっていることで証明される。日大時代の79年に『日本アマ』を制し、翌80年秋にプロ入りすると、2年目の81年に『関東オープン』『ジュン』と2勝して、ランキング5位。83年は『フジサンケイ』で3勝目をあげて「どこまで勝ち星を伸ばすか」と注目された。しかし88年春に疲労が抜けない為、診療を受けたら肝炎で生命の危機にさらされ、93年にはスキーで右ひざを痛め、96年ツアー開幕前には右ひじ痛が発生。99年序盤は椎間板ヘルニアで7月まで戦列を離れ、特別保障制度の適用を受けるなど、ケガや疾患に悩まされ通しだった。それでもシード権は守ってきたのだから、精神力の強さは並大抵のものではない。2000年はツアーの選手会長に推され、自分のプレーより選手会運営にも心血を注いだ。こうしたことで92年『ヨネックス広島』以来、優勝から見放されてきたが、2002年夏の『KBC』で桧垣繁正、桑原克典らを押さえて10年ぶりのツアー7勝目を飾った。<2003>
選手名 | 湯原 信光 (ユハラ ノブミツ) |
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所属先 | 岡藤ホールディングス/東京国際大学 |
生年月日 | 1957年08月14日 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 173cm |
体重 | 78kg |
血液型 | O型 |
出身校 | 日本大学 |
趣味 | 釣り スキューバダイビング |
ゴルフ歴 | 7歳~ |
スポーツ歴 | |
得意クラブ | アイアン |
愛車 | |
アマチュア時代の戦歴 | 1974・1975日本ジュニア 1979日本アマ 1979アジア太平洋アマ (通算27勝) |
ツアープレーヤー転向 | 1980年09月01日 |
ツアーデビュー戦 | 1980年--月--日 全日空札幌オープン |
QT受験回数 | 1回 |
師弟関係 | 石井 茂 |
ホームページ | http://yuhara32.jp/ |