いぶし銀のプレー。いかにも職人芸といっていい。トーナメントには欠かせない顔である。「ジャンボ尾崎や青木は外車。ウチらは国産車。まともにいったら、とてもかないませんが・・・」と名セリフを吐いた。飛距離では確かに劣るものの、コンパクトなスイングからはじき出されるボールは正確にフェアウェイを捕える。特に、ショートゲームには天性の上手さがあった。
プロ4年目の1968年、第36回日本プロゴルフ選手権大会(習志野CC)において、青木功、村上隆、鈴村照男らと優勝を争い、72ホール目にバーディで激戦に決着をつけ、プロ初優勝を飾った。そして関西オープン(70年)に関西プロ(73、74、77年)、76年には日本オープンを取り、史上7人目のグランドスラムを達成。この日本オープン優勝で、翌年ジャック・ニクラウスがホスト役のメモリアルに出場。難コースと闘いながら、予選を通過し55位の成績を残している。
1968年の初優勝から1981年までの16年間で15勝したほか、賞金ランキングベスト10入りを5回(その内、ベスト5入りは4回)、1978年には自己最高の3位に入った。関西では杉原輝雄をリーダーとする茨木グループとは別行動で一匹オオカミ。それだけに負けん気としたたかさは並大抵のものでない。
県立尼崎高を卒業したあと、オートバイの組み立て工場に就職した。しかし、兄の正一さんが芦屋CCのアシスタントだったこともありプロゴルファーへの転身を決意。2度目のプロテストに合格。
1999年、(社)日本プロゴルフ協会から、トーナメント部門を独立してつくられた組織の日本ゴルフツアー機構の初代チェアマンに就任。7年目を迎えた2005年7月28日、任意団体から文部科学省所管の社団法人化に尽力。2008年3月3日の社員総会までの間、会長として指揮を執った。
その後、名誉会長として引き続き男子プロツアー界の発展に寄与していたが、2008年11月3日(月)22時53分に膵頭部癌のため逝去。
後進の指導に熱心なことから、JGTO最優秀新人賞に名前が冠されており、「島田トロフィ」として名が残る。
<2008>
選手名 | 島田 幸作 (シマダ コウサク) |
---|---|
所属先 | 宝塚GC |
生年月日 | 1944年05月07日 |
出身地 | 兵庫県 |
身長 | 177cm |
体重 | 80kg |
血液型 | A型 |
出身校 | 兵庫県立尼崎高校 |
趣味 | |
ゴルフ歴 | 17歳~ |
スポーツ歴 | |
得意クラブ | |
愛車 | |
アマチュア時代の戦歴 | |
ツアープレーヤー転向 | ----年--月--日 |
ツアーデビュー戦 | ----年--月--日 |
QT受験回数 | - |
師弟関係 | |
ホームページ | - |