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最後の最後まで予断を許さなかった昨年のシード確保。自身最終戦の『カシオワールドオープン』で予選を通過して稼いだ約59万円が利いて“次点”の清田太一郎に約43万円差をつけ、“最下位”ながら2年連続シードを守った。
ツアーデビュー年の1995年に『ブリヂストンオープン』で2位に入るなどしていきなりシード入り。97年の『全日空オープン』で初優勝と順調な出だしだった。だが、そこから優勝がない。アプローチイップスに苦しめられた時期もある。初優勝後2位に甘んじること7回。桑原克典と決勝を争った98年の『日本プロマッチプレー』ではエキストラホールにもつれこんだが通算38ホール目に力尽きた。
05年から2年間は選手会長として低迷するツアーを立て直そうと奮戦。その影響もあってか、06年にはシードを落としてしまった。07年には初めてチャレンジ競技に出場。2勝を挙げて貫録を示している。
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